子育てについては、失敗と学習の繰り返しでした。
でも本当に3人の子供たちのおかげで、
私自身、大きな成長ができたと思っています。
一番の成長
「高校では好きなことをやっていいよ」、と
将来も何も後先考えずに
本人がやりたいことを中心に選んだ学校だったのですが、
結果、高校は本当に楽しかったようです。
中学3年の進路を決める時期に、
何をやっていいかわからない、と悩んでいた長女。
「何が好きなの?」と聞いたところ、
歌が好き、と答えたので、
単純な母は、「じゃあ、音楽科に入って声楽やれば?」
と勧めてみました。
長女は音楽なんて、それまで小学校の合唱部くらいしか経験がなく、
ほとんど楽譜も読めたかった状態で、今思うと
かなり無謀な挑戦でした (;^_^A
中学の担任の先生からも初めは反対されたそうです。
長女が家に帰ってきて、泣きながら
「音楽家は先生にやめたほうがいい」って言われた、と。
でも、「私はそれでも音楽科に入りたい」と
初めて自分の意志で「入りたい」という言葉を発したことがうれしく、
次の日、すぐに先生に電話をし、
「私(母)が責任を持って指導をするので、音楽科を受験させてください」
と頭を下げてきました。
それが功を奏したのか
その後は担任の先生からも協力をいただけることとなり、
のちに長女の高校で担当となる、
声楽科の先生のレッスンを受けることができるよう、
間に入って話をしてくださり、
放課後、中学の音楽の先生に、
受験のために必要な指導をしてもらうことができました。
受験まであと3か月という短い期間の中
かなり頑張ったと思います。
私も昔、音楽を少々かじっていたことがあったので、
家では私が先生となって、実技に必要な要点をまとめ
ほとんど一夜漬け状態で、何とか受験までに
楽譜が即興で読めるようになるまでがんばりました。
楽譜も読めなかった長女が舞台に・・・
努力の甲斐があって、見事合格!
それだけでも、かなり嬉しかったのですが
それから3年間。
ピアノもほとんど弾けず
本当に歌以外はほとんどクラスで下位にいた彼女ですがw
好きな歌だけはぐんぐん上達し、
3年生の定期コンサートでは、ついに難関を突破!
通常1~2人しか選ばれないという、ソロで舞台に立つことができたのです。
まるで夢のようでした。
あんなに引っ込み思案で、いつもおどおどしていた子が、
一人堂々と舞台で歌っている姿を見て、涙が止まりませんでした。
もちろん、準風満帆というわけではなく、
1年の頃には音楽以外の勉強ができずに
留年を心配されたり、ということもありましたが、
無事、卒業もできました。
私の離婚の影響を一番受けたのは、長女だと思います。
それを、私自身もかなり気にはなっていました。
なので、少しでも彼女の気持ちの支えになりたいという思いが、
のちに、心理カウンセラーの資格を取ろう、という
動機にもなりました。
・・・彼女は、「ママがいなかったら、私は死んでいたと思う」
と、大人になってから言うほど、中学が辛かったと言います。
でも、それを二人で乗り越えることができました。
後に続きますが・・・
私は離婚したことについては、間違いはなかったと思っています。
ただ、その分子供たちを守る義務もあります。
「どんなことがあっても、ママはあなた達を守るからね!」
と宣言したあの日から、今でもその気持ちは変わらず、
困ったことがあったら、真っ先に子供たちの声を聴くようにしています。
その甲斐があってか
子供たちもなんでも悩みを相談してくれるようになり、
いつも、我が家には笑い声が絶えなくなりました。