判決文はFAXで送られてきました。

書類の提出の他
何度も裁判所に出向き、
手続きがすべて終わり
そろそろ判決がでるのでは、
という頃でした。


仕事が終わって家に戻ってみると
ファックスからずらりと
長い紙がたれていました

なんだろう?と見てみると

『1、原告と被告とを離婚する』
との文字が!


やったーーーー


と思わず
大きな声で叫んでしまいました。


何度も何度もFAXをを見直し、
正式に離婚の判決が出たことを
確認しました。


実際のところ、
裁判の後半は
元夫が全く出頭する気配もなく
最終の口頭弁論にも顔を出さず
ほぼ勝訴は確定だろう
と言われていたものの
実際に判決が出るまでは
かなり不安でした。



子供たちと家を出てから
1年以上が経ち、
また、
私が何度も保護命令の延長をしていたので

その頃には相手も諦めていたのか
もしくは勝ち目がないと
周りから諭されたのか

早々に控訴はしないという
連絡があったため
無事、離婚が成立しました。


長かった離婚までの道のり。
1年半もの裁判を経て
ようやく平和な生活を取り戻すことができ
本当にほっとしました。


 







離婚確定まで
本当に何度も怖い思いをし
そのたびに、
周りの人たちに助けてもらいながらの
生活でした。


引っ越し先を教えていないはずなのに
アパートへ突然元夫がやってきて
執拗にドアをノックするため
警察を呼んだところ、

危険性があるとのことで
急遽その晩だけ、
パトカーに乗せてもらい
子供たちと
シェルターに泊まったこともありました。


また、子供たちの幼稚園や
学校の行事があると
直接学校、幼稚園に元夫が電話を入れ
「自分は保護者だから子供に会いに行く」
と連絡をするため、
そのたびに警察が来て
周囲を警戒するという事態に。。。






その頃は
元夫の言動が
おかしくなることがある
とのことで、
警察の方もかなり心配し
家に監視カメラをつけてもらっこともありました。





(ボロ屋に住んでいたので
セキュリティ面が不安だったので(;´・ω・))









私自身、というより
周りに迷惑をかけてしまうことの
申し訳なさと、
子供たちがかわいそうで
何度も悔し涙を流しました。

いやがらせなどは
数を数えたら
キリがないほど・・・









子供達の寝顔を見ながら
なんとしても
この子達はわたしが守る!
幸せにする!

と、誓いました。

このころから、
どんなことがあっても
私は負けない!
乗り越えて見せる

という
はがねの精神が身についていったのだと
思います。














正直、
元夫が子供達を
すごく可愛がってくれていたら
離婚なんて考えませんでした。









まだ一緒に暮らしていたころ
おもちゃは買い与えるものの
世話をする、可愛がるでもなく、
私が用事があって出かけるときは
必ず
「子供も一緒に連れていけ」
と言われていました。

また、
何度か話し合いをしたときに
言われた一言が
どうしても許せなくて
離婚を決意したのです。

「お前が逃げられないようにするために
子供を作った
」と。






私にとっては
命より大切な子供達。
それなのに、夫から出た言葉は
道具として考えていたようなものでした。





腹も立ったし、
辛かったのを
今でも覚えています。


・・・こうして勝ち得た
離婚だったので、
本当に嬉しかったのです。










離婚が成立したことで
国や市からの援助も受けることができ
経済的にもだいぶ楽になりました。


前述のとおり、
離婚をするだけで精いっぱいで
慰謝料、養育費の請求もしなかったため
しばらくは、
昼、夜とバイトを掛け持ちしながらの
生活にはなりました。






それでも子供たちとの生活は幸せ
紆余曲折もありながらも
楽しい生活がはじまりました。









https://yukirikadou.com/archives/157