ブログを立ち上げ、さあこれから!
というときに、まさかの入院(@_@;)。


 


元気だけが取り柄だ・・・
と自分では思っていたので
入院することになるとは、
夢にも思っていませんでした。


 


しかしながら、この入院を機に
長女との関係がさらに濃くなったこと。


彼女が抱えてきた、心の病について
改めて考える、良い機会となりました。


 


~入院に至るまで


病名は”急性虫垂炎”。
俗に言うところの盲腸です。


 


私の感覚では盲腸=切る(手術)というイメージだったのですが、
今は、点滴だけで治療する方法もあるんですね。。。
(もちろん状態によってです。
経過が思わしくなければ手術と言われましたが)
ともあれ、今回は点滴だけで6日間の入院を体験してきました。


 


入院するまでの前2日の間、
原因がわからず、
近所の医者で薬をもらったのですが、
全く治らず、眠れない夜を過ごしました。


 


痛みが治まらないので、
再度病院を訪れたところ、
大きい病院を紹介され、
受診後、即入院となったのです。


 


正直、家のことが心配で入院はしたくなかったのですが(^^;)、
激しい痛みと、夜眠れないことがかなりつらかったので、
その場で即入院、の決断を余儀なくされました。


 


いつもはおっとりしている彼女が変身する時

何の準備もしていなかったので、
2時間だけ時間をもらい、
速攻で家に戻り入院準備。


 


幸い、長女がその日休みだったので、
準備を手伝ってもらえたのがかなり助かりました。


自分一人ではとても無理だったと思います。


長女は介護の仕事をしているので、とにかく手際が良い!
「これと、これが必要になるよ」
と言って、どんどんバッグに詰め込んでくれましたw


 


それから約1週間、
入院生活が始まりました・・・


 


私の入院と長女の成長




普段はおっとりしている長女ですが、
この子は不思議な子で、
ママに何かあると
突然行動的になるというところがあります。
(以前、債務整理をしに行ったときもうそうでした)


 


https://yukirikadou.com/archives/197


 


基本、コミュ症なので、
あまり外に出るのが好きではなく、
人込みに入るとパニックを起こすところがあるのですが、
この時はずっと私に付き添ってくれ
何かと世話を焼いてくれました。


 


自称「マザコン」というくらいで、
自ら、「私の原動力はママ」と豪語するほどw


今回ばかりは、いろんな意味で
本当にママから離れられない子なんだ、ということを実感しました。


 


単に、『気持ちが幼い』だけではなく
それには理由があります。


彼女は心の病を抱えており、自覚はあるものの
克服しようと頑張っている最中でした。
(その辺は次に詳しく書いていきます)


 


さて、
ママがいない間、”さみしい”のと”心配”で
ろくに夜眠れなかったという長女。
皆勤賞並みに毎日病院に来ていました。


 


 


...まあ、気持ちはわかるというか
私と同じだな~
と改めて親子の血の濃さを
感じるところともなりましたがw


 


実は数年前、
彼氏さんが手術を伴う入院をしたとき、
やはり心配で、ほぼ毎日病院に顔を出していた私。


 


入院先が、幸い私の会社から近かったということもあり、
仕事が終わってから急いで病院に行き。
顔を見て帰る、という生活を
1カ月ほど続けていました。


 


 


長女もそんな感じで、
愛しいママが心配で毎日来てくれた、と思うと
「ママがいないと私は生きていけない」
という言葉の重みを改めて感じました。


 


。。。下二人はケロッとしていて、
そういった意味ではしっかりしていて、
別の意味で頼もしかったですがw


 


 


 


彼女が生きてきたこれまでの人生



病院では寝てばかりいるので
何かと思い出したり考えたりしてしまい。。。


 


とにかく長女にとって、
これまでの人生は辛いことの方が多かったんだな、
と実感すると同時に、
これからの人生、さらに二人で一緒にいろんなことを楽しみたいと
思う気持ちも強くなりました。


 


離婚当時小学生だった長女。
元夫がわたしを困らせるために、
長女が通う小学校へ何度も嫌がらせの電話をかけてきたため
一時避難した転校先では孤立してしまい、
その後戻った地元の小学校でも、
授業参観に警察が来るという事態になってしまいました。


 


その後、元夫の嫌がらせは止まったものの
今度は中学で3年間、毎年違う形ではありましたが
同級生からのいじめにあいました。


それでも二人三脚で頑張って卒業をし
高校では、自分のやりたいことをする、
というスタンスでの生活へ変わっていきました。


 


 


https://yukirikadou.com/archives/178


 


 


 


父親に恵まれなかった幼少時代

また、当時同居していた彼が
長女と合わなかったらしく
後から聞いた話では、長女だけかなり厳しく怒られていた
(キレていた)とのこと。


 


「なんでもっと早く言わなかったの!?」
と長女に言ったものの、
気づいてあげられなかった自分にも
腹が立つやら悔しいやらで。。。


 


その態度に気づいてからは、
何度か彼に注意をし、
(長女ばかりを怒るのをやめて欲しいと)
なるべく2人を近づけないようにしていましたが
私が仕事に行っている間にやはりいろいろと言われるらしく
それが原因で、当時結婚まで考えていた人と
別れる決意をしました。


 


 


長男からの密告で、
キレると鍋を投げたり、椅子を投げたりしていたとのこと。
(もちろん長女には当たらないようにしていたようですが)
それが最後の決め手になりました。


 


・・・その彼と別れるときに
(長女の顔が)「元夫と顔が似ていたから」
という理由で嫌いだった、と聞いて愕然としました。


 


もっと早く気づいていたら、
一緒に暮さなかったのに、と
後悔の念でいっぱいだったのを覚えています。
(下の二人の子に対しては、
本当の子のようにかわいがってくれていたので
当時は全く気付かなかったのです)


 


発達障害を乗り越え、自分らしく生きる


 


そんな子供時代を過ごした彼女。
生きているのが楽しくない、と思っても
仕方ありません。


 


高校に入ってから、当時同居していた彼から離すべく、
私が長女の部屋に寝泊まりするようになりました。


 


それがきっかけで
今でも長女とは部屋が同じという生活を
続けています。
(毎日、彼女の話を聞くのが日課になっています。)


 


 


長女が大人になってから、
ふとこんなことを言い出しました。


 


「自分はこれまで人とは違うと感じながら生きてきた。」


そこで、もしかしたら発達障害ではないかと思い、
自分なりに調べたところ、該当する部分が多々あったとのこと。


 



発達障害とは・・・
発達障害は、生まれつき脳の発達が通常と違っているために、幼児のうちから症状が現れ、通常の育児ではうまくいかないことがあります。成長するにつれ、自分自身のもつ不得手な部分に気づき、生きにくさを感じることがあるかもしれません。
ですが、発達障害はその特性を本人や家族・周囲の人がよく理解し、その人にあったやり方で日常的な暮らしや学校や職場での過ごし方を工夫することが出来れば、持っている本来の力がしっかり生かされるようになります。



 


 


確かに大学へ通っていたころに
カウンセラーの先生から
病院に行くことを進められましたが、
本人が病院へは行きづらい、というので
その時は病院へは行かずに終わりました。


 


また、私(ママ)といると症状が緩和するということもあり、
一緒に二人で、生きる道を探すことを目指しました。


 


いじめにつながった理由として、
発達障害の要因もあったのかな、
と今では思います。


 


幼少のころから薄々感じていましたが、
私は彼女の個性と受け止めていたので、
あまり気にはしていませんでした。


 


確かに今思えば
本人はかなり苦しんだんだろうということ。


 


だから自分が生きやすくなるにはどうしたらいいか、
彼女なりにわかっているのだと思います。
そこで、
自分の力を発揮できる場面が
たまたま私(ママ)だったというだけなんだと思います。


 


 


長女はもう、24歳。
通常なら独立していてもおかしくない年です。


 


彼女が一人でも生きていくのが
楽しいと思えるようになるまで、
ゆっくりゆっくり時間をかけて
成長していってくれれば。


そして・・・


今回の入院を通して、改めて感じると同時に、
私ができる限り、心に寄り添ってあげることによって
少しでも、人生が楽しいと感じてくれることを願っています。


 


 


https://yukirikadou.com/tarotcounseling